千疋屋総本店

日本橋ストーリー

江戸時代から日本橋エリアのランドマークとして、地域に愛され続けている「日本橋」。
約400年の歴史の中では、多くの作家や絵師をも魅了しました。
歌川広重 東海道五拾三次 日本橋 朝之景
歌川広重
東海道五拾三次 日本橋 朝之景
歌川広重 名所江戸百景  日本橋雪晴(にほんばしゆきばれ)
歌川広重
名所江戸百景 日本橋雪晴

日本橋は江戸時代初期に徳川家康の命によって架橋されました。橋の名前の由来は江戸の中心、日本の中心にある橋としていつしか日本橋と呼ばれるようになりました。その後は五街道の起点として、江戸の町でもっとも賑わう場所としてその発展を遂げ、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵にも多く描かれています。

江戸幕府の開府まもない江戸の人口は約15万人と伝えられています。1635年に参勤交代が始まると、江戸へ参勤のために各地域からやってくる大名のための武家屋敷が建設され、大名家の家族や家臣も江戸に住むようになりました。武家の人口は増加し、その人々を相手に商売をしようとする人、仕事を求めてくる地方の人で江戸の街の人口が急激に増加していきます。この頃が江戸100万都市と呼ばれたいわれで、最盛期で120万人にまで増加したと言われています。120万人というと1801年のロンドンの人口約80万人、パリの人口約50万人と比較しても世界の都市のなかでトップクラスの人口を誇る大都市です。

江戸の経済に大きく起因したのが交通網の整備です。発展途上の江戸は政治の中心でありながら、まだまだ経済の中心は大阪や京都でした。大阪や京都、江戸を結んだのが、大量の物資を運べる海運・河川を用いた船路でした。

現在の日本橋本町1丁目、日本橋室町1丁目にあった魚市場は300年以上にわたり、江戸と東京の人々の食生活を支えつづけ、特に18世紀に大きく発展しました。

※五街道(ごかいどう)は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路の事。 (東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)

現在の日本橋も江戸時代と同様に、人や物流・経済の町として発展し、創業から100年を超える老舗企業も多く軒を連ねています。